Quatre*Quarts

日々4分の4であること

2026年6月:母の病状が急変した

こんにちは。Q-Qです。

2026年6月の月記です。

母は順調に回復しているように見えた

5月末に退院した時は、このまま少しずつ元気になっていくものだと思っていました。

家の中では杖を使って移動していましたが、そのうち杖なしでも歩けるようになり、通院も徒歩で行くように。

退院直後は乾燥機を使っていた洗濯も、少しずつ外干しをするようになっていました。

骨折だからと安静にしているより、そろりそろりでも動いた方が回復につながるのだな、と見守っていました。

母が退院したことで、両親の家事は基本的に母が担当。

買い物だけは難しかったので、頼まれた時に私がついでに買ってくるという生活に戻りました。

母の体調が急変

ところが、退院してすぐ母の様子がおかしくなります。

食事が通らない。
食べてもえづいたり、吐き戻したりするようになりました。

これはおかしいと思い近所の胃腸科を受診したところ、都内の大学病院への紹介状が出され、その日のうちに入院することになりました。

結局、自宅で過ごせたのはわずか2週間ほど。
また父との二人暮らしが始まりました。

再び父との生活

母が退院していた2週間は、

「やっと外へ出られる!」

と思い、アトミ活動も少しずつ再開していました。
ところが再入院となり、また活動は縮小。
父の食事や服薬管理、家事を優先する生活に戻りました。

今振り返ると、4月に台湾旅行、5月に鳥羽・伊勢・京都旅行へ行っておいて本当に良かったと思います。

父一人では服薬管理もできませんし、食事も作れません。
今の状況では、家を何日も空けることは難しかったでしょう。

父との生活で気付いたこと

父は気を抜くとすぐにお風呂へ入らなくなります。

「今日は入った?」

「頭も洗った?」

毎日のように声を掛ける生活です。

高齢になると独特の体臭がすると聞きますが、こういうことなのかと実感しました。
毎日体と頭を洗うよう、できるだけ声を掛けています。

そんな中、小さな変化もありました。
父にはアトミのエイソルートシャンプーを使ってもらっているのですが、白髪だった髪が少しずつグレーになり、後頭部には黒髪が増えてきたように感じます。

生活の中で変わったことと言えば、このシャンプーくらい。
もちろん個人差はあると思いますが、毎日見ている私としては嬉しい変化でした。

余命宣告

入院した母は、食べ物も水分も胃へ入らず、点滴で栄養を補う毎日になりました。

検査を重ねた結果、

「今なら家へ帰れます」

という先生のお話もありました。
それなら自宅で過ごすことになるのかな、と家族も覚悟を決め始めていました。

ところが、その後に行われた腹腔鏡検査で状況は一変します。

母は余命を告げられました。
夏は越せないでしょう、と。

正直、現実味がありませんでした。
本人はまだ起き上がって会話もできます。
談話室まで歩いて行くこともできます。

本当にそんな状態なのだろうか。

信じられませんでした。

会うたびに弱っていく母

自宅へ戻るにあたり、家族への説明を受ける予定でした。
ところが私の都合が合わず、参加できる日は腹腔鏡検査から一週間後。

その頃には母の体力はさらに落ちていました。
痛みも強くなり、自宅へ帰ることも諦めてしまいました。

痩せて骨が浮き出た体。
痛みに耐え、顔をしかめる母。

その姿を見て、私がお願いしたことは一つだけでした。

「どうか、痛みだけでも取ってください。」

まとめ

6月は、家族全員の時間の流れが大きく変わった一か月でした。

5月に退院した時は、このまま少しずつ元気になっていくものだと思っていました。

それが、わずか数週間で状況は大きく変わります。

人生は、本当に何が起こるか分かりません。

この時の私は、ただ目の前のことを一つずつ受け止めることで精一杯でした。